本家本元:ケンモツ |
平行棒の後方車輪倒立にはケンモツの名前が付いていますが、単に「車輪」と呼ばれるのが通常で、鉄棒のワタナベ(後方伸身2回宙返り2回ひねり下り)と同じようにその技名を聞くことがあまりありません。
監物永三は日本の黄金時代を支えた名選手。オリンピックと世界選手権合わせて6回の団体優勝に貢献しました。1970年の世界選手権・リュブリャナ大会では個人総合チャンピオンにも輝いています。その監物が1978年に発表した後方車輪は平行棒に革新をもたらすものでした。
なぜなら、それまでの平行棒では懸垂で膝を曲げることは認められないと考えられていたからです。しかし、監物のこの実施は減点されず。平行棒に後方車輪が誕生した瞬間でした。以後、この技術から多くの技が発生し、平行棒の演技構成が大きく変わったことは言うまでもありません。
難度は当時から今日に至るまでC難度。その革新性が高く評価される後方車輪ですが、器械の高さゆえ本来は懸垂を要求する種目ではなかったはずの平行棒において、膝を曲げてまで車輪を行うことには懐疑的な考え方もあるようです。かつて伸膝の後方車輪にD難度が与えられていた時代もありましたが、現在はそのような区別はありません。
平行棒における懸垂といえば、単棒横向き懸垂からの手放し技や終末技が流行した時代もありました。これらの技も懸垂における屈膝が認められたことによって生まれたものと言えます。鉄棒さながらのギンガーやイエーガーを行う選手まで現れました。しかし、これらは鉄棒に委ねられるべき運動であり、平行棒の器械特性にはそぐわないものとされ、現在は全て削除されています。
話がかなり脱線していますが、脱線ついでに前方車輪についても書いておきましょう。つり輪や鉄棒では基本的な技術である前方車輪ですが、平行棒では明らかに無理があるように思えます。が、それでも一応実施例があります。アメリカのブライアン・ギンズバーグが発表し、一時は名前も付いていたようですが、こちらも現在は削除されています。
それに後ろが見えないので、なおさら怖いです。
そういうことだと思いますね。2001年のルール改訂のとき、種目の特性に合わないとされる技がたくさん削除されたんですが、そのときだったようです。
確かに、振り下ろすときがかなり怖そうですね。
その方、日体大の体操部の4年生の「卒業演技会」で、倒立からそのまま振り下ろして床に足を着き、そこからアームになって翻転倒立をやったそうなんです。(その演技会、とにかく面白ければいいそうで、あん馬の最高点は、馬端から馬端までピョコピョコと跳んでいった方だったそうです)
その2か月後、「監物さんが平行棒で車輪をやってるよ」って…。
その方のお遊びがヒントになったんだそうです。
それまで車輪は鉄棒でやるもの。
平行棒では不可能。
とされていましたから。
シャポシュニコワ の「車輪」も同様でした。
余談ですが76年の別冊マーガレットだったと思いますが漫画で「段違い平行棒でのムーンサルト」が描かれていました。
「決めろフィニッシュ」というタイトルで初めて見た本格体操漫画でした。
監物さんは鉄棒での片手車輪も開発するなど新技開発においても名選手でしたね。
これも余談ですが床の後方伸身二回宙返りを夢に見ました。
アンドリアノフさんが実施する約一年前に。
監物さんの技といえば、ゆかの3回ひねりもそうだったようですね。